1929年から10年間、八王子駅前から高尾山麓までの甲州街道上を走った武蔵中央電気鉄道の車両です。
帝都線(井の頭線)開業時の半鋼製17メートル車両で、高さ1メートルの展望のきいた大窓と、腰下だけ仕切った片隅運転台の窓に付けられた日除けのヒサシが特徴でした。
ファンの間では名車として人気がありました。戦時中、東急合併時に改番され1400型となりました。
1934年に登場した車両です。この後3扉化され、さらに東急合併時に2200型に改番されました。
1936年に登場した車両で、従来のものに比べ扉幅が広がりました。写真は3扉後のもので、東急合併時に2300型に改番されました。
京王電気軌道は大正天皇の御陵墓(多摩陵)参拝客の積極的な誘致を図り、1931年に北野から片倉、山田を経て多摩御陵前に至る全長6.4キロメートルの御陵線を開通させ、皇族用の貴賓車500形を製造しました。
丸屋根、半鋼製、濃緑色の車体に白灰色の屋根でトイレも付いていました。しかし、省線(中央線)に皇室専用駅ができたため貴賓用に使われることはほとんどなく、1938年に3扉の一般車に改造され、1944年東急合併時に改番されました。
また、御陵線も廃線同様のまま終戦を迎え、戦後22年を経た1967年に線路敷の一部(北野〜山田間)が高尾線として復活しました。