都区内地区では、路線の廃止や運行回数の減回など再編成を行うと同時に、営業所の統廃合を実施しました。これにより、都区内の路線は1975(昭50)年9月までに中野と永福町の2営業所となりました。一方、多摩地区では増大する輸送量に対応するため、営業所の新設を含む再編成を実施しました。
1960年に始まったワンマン化については、都区内地区では72年7月、多摩地区でも76年4月に完了、63年には853人もいた車掌がすべていなくなりました。
その他観光バス事業で業務組織を変更し、1973年3月に観光バスセンターを設置しました。また、車両整備部門についても、1972年3月に永福町工場を「中央工場」として営業所から独立させ、整備関係業務の集約化・効率化を図る一方、75年からは路線バスの塗色を変更し、塗装の簡略化を実施しました。