鉄道車両の変遷(戦前期)

1913年4月、京王電気軌道が笹塚~調布間12.2kmを木造4輪単車で開業したのが京王線の始まりです。その3年後には府中まで延長、さらに9年後の1925年には玉南電気鉄道の開通により東八王子に達しました。 また、1933年には帝都電鉄によって井の頭線が開業しました。

京王電気軌道「13型」(1916~1932)

1913年に笹塚~調布間が開業したときに使用された車両は4輪単車でした。これは1916年に登場した4輪単車です。
なお開業当初の車両は、この車のように前面にガラス窓もない開放型運転台でした。

京王電気軌道「19型」(1919~1932)

1916年に新宿~府中間が開通すると、輸送量が増え、車両が大型化されました。
この車は1919年に登場した同線初のボギー車です。当初は空気ブレーキがなく、後に改造されて取り付けられました。

京王電気軌道「23型」(1920~1941)

大正期の京王電気軌道を代表する全長11.7メートルの木製ボギー車で、全部で44両がつくられました。出入台に扉が付いた先細りの車体が特徴です。
この23形から車体の色は茶色一色になりました。 しかし、13メートル級車の登場とともに他方面に転出し、1941年には全て廃車となりました。

京王電気軌道「110型」(1928~1944〈改番〉)

旧玉南1型の規格に基づいて、1928年に登場した同線初の鋼製車です。出入口の外側にも折りたたみステップを備えていました。戦時中、東急合併時に改番され2110型となりました。
なお、戦時中の東急合併時に京王線車両は2000番台、井の頭線は1000番台に改番されています。

京王電気軌道「150型」(1929~1944〈改番〉)

1931年の御陵線開通を控えて増備された京王線唯一のクロスシート車両です。
1938年にロングシートに改造し、1940年には3扉化され、さらに1944年東急合併時に改番され2150型となりました。

武蔵中央電気鉄道「1型」(1928~1937)

1929年から10年間、八王子駅前から高尾山麓までの甲州街道上を走った武蔵中央電気鉄道の車両です。

帝都電鉄「100型」(1933~1942[改番])

帝都線(井の頭線)開業時の半鋼製17メートル車両で、高さ1メートルの展望のきいた大窓と、腰下だけ仕切った片隅運転台の窓に付けられた日除けのヒサシが特徴でした。
ファンの間では名車として人気がありました。戦時中、東急合併時に改番され1400型となりました。

京王電気軌道「200型」(1934~1944[改番])

1934年に登場した車両です。この後3扉化され、さらに東急合併時に2200型に改番されました。
丸い屋根構造としたほか、モーターを増やしてパワーアップしました。

京王電気軌道「300型」(1936~1944[改番])

1936年に登場した車両で、従来のものに比べ扉幅が広がりました。
写真は3扉後のもので、東急合併時に2300型に改番されました。

御陵線、幻の貴賓車500号車(1931~1944〈改番〉)

京王電気軌道は大正天皇の御陵墓(多摩陵)参拝客の積極的な誘致を図り、1931年に北野から片倉、山田を経て多摩御陵前に至る全長6.4キロメートルの御陵線を開通させ、皇族用の貴賓車500形を製造しました。
丸屋根、半鋼製、濃緑色の車体に白灰色の屋根でトイレも付いていました。しかし、省線(中央線)に皇室専用駅ができたため貴賓用に使われることはほとんどなく、1938年に3扉の一般車に改造され、1944年東急合併時に改番されました。

また、御陵線も廃線同様のまま終戦を迎え、戦後22年を経た1967年に線路敷の一部(北野~山田間)が高尾線として復活しました。