鉄道車両の変遷(戦後復興・発展期)

戦時立法により東京急行電鉄と合併した旧京王電気軌道と旧帝都電鉄は、1948年6月に東京急行電鉄から分離独立、京王帝都電鉄として再出発しました。しかし東京大空襲で多数の車両を消失し、満身創痍の再出発でした。
戦後の復旧はまず戦災車を復旧し、列車本数を増やすことから始められました。これが一段落した時点で、京王線は軌道線から高速鉄道への歩みを始めます。
昭和30年代以降は沿線の開発が進み、輸送人員は年々増加の一途をたどりました。それに伴い公共輸送機関としての使命を果たすべく高尾線・相模原線・京王新線を開通させ、特急の運転開始や列車の長編成化など、輸送力増強とスピードアップ、安全性の向上を図って飛躍的な進歩をした時期です。 同時に最新技術を投入した新型車両が登場しました。

1400型(1946~1952)

元100型で、東京急行電鉄と合併時に1400型と改称しました。
戦争中に空襲や火災などで被害を受けた車両は、京王線で14両、井の頭線では24両にのぼりました。
写真の車両は、終戦直後、井の頭線復興のため永福町工場で復旧した戦災応急復旧車です。戦災で焼けた鋼体をたたき直して使用されました。

1570型 (1951~1952〈改番〉)

1951年に、戦災応急復旧車の車体を車両メーカーで更新した戦災応急復旧車(制御車)です。
翌年、1250型に改番されましたが、その後さらに中間車化・改番され、1984年まで使用されました。

1700型 (1946~1972)

この車両は、もともと東横線用に製造された車両でしたが、当時井の頭線が戦災で車両不足に陥っていたため、同線に入線し、戦後復興に大きく貢献しました。
その後、新型3000系の増備に伴い、1965年に京王線に転用され、1972年まで活躍しました。

1710型(1946~1972)

この車両ももともと京浜線(今の京浜急行電鉄)向けの新造車でしたが、井の頭線に入線し、同線の復興に寄与しました。
1965年に京王線に転用され、6000系が投入された1972年に廃車となりました。

2000型(1944〈改番〉~1954)

玉南電気鉄道1型として1925年に登場し、京王電気軌道~東京急行電鉄~京王帝都電鉄と活躍した木造車です。

2201号(1948~1959)

終戦直後、京王線復興のために焼失した車体を桜上水工場で復旧した戦災応急復旧車です。
1959年に電装解除・中間車化により形式変更され、さらに更新改造されて1984年まで活躍しました。

2500型(1949~1960)

戦災で車体が焼失したため、車両メーカーで車体を新造した車両です。
なお、この2500型をはじめとする13メートル級車両は、1959年から61年にかけて、63年に実施された京王線昇圧に向けて、電装解除・中間車化(付随車化)の上形式変更され、2000系や2010系カルダン車に挟まれて使用されました。最後に残った車両は1969年まで活躍しました。

2600系(1950~1977)

軌道線車両から脱皮した本格的郊外電車タイプで、これまでの車体長13メートルから16メートルと大型化し、昇圧に備えた1500ボルト対応の仕様でした。また、京王線では最初に自動加速の制御方式を採り入れました。
その後、車両全周に雨樋の設置、窓のアルミサッシ化、前照灯の2灯化などの改良がなされました。

1760型(1950~1969)

京王帝都電鉄となって初の井の頭線新造車で、1950年に登場しました。
外観は1710型と同様のスタイルとなってます。のちに電装を解除されクハまたはサハに形式変更され、1984年まで活躍しました。

1800型(1952~1983)

1952年に井の頭線に登場した車両で、最初の3両は戦災応急復旧車の更新車で、残りの車両はモーターや台車などに国鉄標準部品を装備していました。
最初の3両は、高尾線が開業した1967年に京王線に転用され、1974年まで活躍しました。なお、井の頭線に残った車両も1983年に全車廃車となりました。

1900型(1953~1984)

1953年に登場した井の頭線車両。同時期に京王線に入線した2700系と同様、前面形状に「湘南型」を採り入れたため、1800型に比べ洗練されたスタイルとなっています。
3000系車両の増備により、1984年に姿を消しました。

2700系(1953~1981)

2600系に続いて、1953年に登場した17メートル車両です。
前面形状は当時流行の「湘南型」と呼ばれる2枚窓を採り入れ、側面窓は扉間に幅1メートルの広窓を3個配置し、更に車体には高抗張力鋼を使用し大幅に軽量化するなど、2600系に比べて大いに洗練したデザインとなりました。なお、この車両のデザインはその後登場する2000系、2010系に受け継がれたほか、側面窓の配置は他私鉄でも採用されるなど、多大な功績を残しました。

荷物電車 デニ200型(1953~1986)

京王線の荷物用車両として製造されました。 京王線・井の頭線では、お客さまの「手荷物」や「小荷物」を運ぶための専用列車が運転されていました。しかし、業務の効率化や駅施設の改良の進歩などにより、荷物取扱い駅は集約化され、さらに荷物の輸送そのものが1972年7月に廃止されました。
しかし、その後も車庫内の入換え、除雪、ATS(自動列車停止装置)の試験、工事列車のけん引など裏方として使用され、1986年まで活躍しました。

1000系〈初代〉(1957~1984)

井の頭線初のカルダン駆動の高性能車で、同時期の京王線2000系と同一外観の正面2枚窓の湘南スタイルです。入線当初は3両編成でしたが、その後4両編成になり1975~77年にかけて5両固定編成化されましたが、1984年に全車廃車となりました。

2000系(1957~1983)

1957年に登場した、京王線初のカルダン駆動、発電ブレーキ、2両ユニット編成の高性能車両です。
外観については2700系と同様で、16両が製造されました。

2010系(1959~1984)

2000系の改良版として1959年に登場した車両です。1963年の京王線昇圧を目前に控え、大量に存在していた戦前製の小型13メートル級車両を有効活用する目的で製造されました。
外観については、2000系と同様ですが、一部の車両は、のちに登場した5000系と同じアイボリーホワイトに赤帯の塗装を施した時期があり、急行系列車で華々しく活躍しました。

220型(1964~1969)

1963年の京王線昇圧により、戦前の13メートル級旧型車両は廃車・改造によりほとんど姿を消しましたが、4両だけは昇圧化改造され残りました。
この車も改造された車両のひとつで、5000系と同じアイボリーにエンジ帯の塗色が施され、主に動物園線で活躍しました。

3000系(1962~2011)

1962年井の頭線に入線した当社初のオールステンレスカーです。前面形状には従来の湘南型を採り入れながらも、FRP(強化プラスチック)を使用し、またこの部分の色を編成ごとに変えるなど(レインボーカラー)、当時としては画期的な車両でした。

5000系(1963~1996)

1963年の京王線昇圧と同時に登場しました。当時グリーン一色だった車両の中で、アイボリーにエンジの帯を巻き、ボディもスピード感あふれるスマートなスタイルとなりました。
同年10月に運転を開始した特急に重点的に導入されるなど、京王のイメージアップに大いに貢献しました。

6000系(1972~2011)

1972年に導入した当社初の大型20メートル両開き4扉車で、当社の通勤電車の標準型となり、1991年までに304両が製造されました。当社として初のワンハンドル、また京王線で初めての回生ブレーキを採用し、特急から各停まですべての種別に対応したほか、都営地下鉄新宿線との相互乗り入れにも使用されました。
当社のシンボルカラー「アイボリー」塗装の最後の電車です。