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京王電鉄50年史

第1部 戦後復興から事業の多角化へ(1948〜1969)

第1章 京王帝都電鉄の設立

1 鉄道の復興

新宿を出て甲州街道の併用軌道に入る電車

新宿を出て甲州街道の併用軌道に入る電車
1949(昭24)年頃

当時、京王線は13メートル級車両の2両編成でした。

 設立当時、当社の営業キロは51.9キロ、車両数は京王線70両、井の頭線37両でしたが、多くは戦前のもので戦災応急復旧車も含まれていました。

 また、朝夕の混雑率は最高250〜300%という記録もあり、首都交通を担う当社にとって、輸送力増強と施設の復旧は急務でした。

 当時、京王線は13メートル級車両を2両編成で運行しているに過ぎず、宅地化が都心から西へと進むなか、輸送力増強を求める声は日々に強くなりました。

 そこで、画期的な16メートル級車両による3両編成運転を計画しましたが、当時は3両編成化といっても大変な難事業で、被災・荒廃した施設の新増改築や用地取得などに多くの費用と時間を要しました。

 このようななか、1949(昭24)年9月、新宿〜調布間に戦時中に途絶えていた急行運転が復活し、新宿〜東八王子間の所要時分は75分から68分に短縮されました。

 1950年3月には新宿〜京王多摩川間、新宿〜府中間に3両編成の急行を運転しましたが、これは13メートル級車両によるものでした。その後、難工事となった西参道のSカーブの修正をはじめとする施設・設備の改良工事が完了し、1951年4月、待望の新型16メートル級車両・2600系による3両編成運転が新宿〜千歳烏山間で開始され、さらに全線3両運転化に向け、工事を進めていきました。


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