本文へジャンプメニューへジャンプ

京王電鉄50年史

第1部 戦後復興から事業の多角化へ(1948〜1969)

第1章 京王帝都電鉄の設立

2 輸送力を増強する鉄道

移設工事中の併用軌道

移設工事中の併用軌道

 新宿駅から320メートルほどの区間は、甲州街道上の併用軌道となっており、運転保安上のネックとなっていました。1953(昭28)年、甲州街道の拡張に合わせて緑地帯を設けて道路交通と分離・移設する工事を行い、保安度は幾分向上しましたが、甲州街道を横断する踏切が残り、依然として徐行運転を余儀なくされていました。

 1955年4月、東府中〜府中競馬正門前間の競馬場線が開通しました。そして10月にはダイヤ改正を実施、新宿〜東八王子間を59分から53分に短縮し、新宿〜八王子間で競合する国鉄中央線に比較して所要時分が1分短くなりました。

 当時、京王線の利用者は毎年8%強の割合で増加しており、3両編成運転ではすぐに限界に達するとみられていました。

 これにより、まず1957年1月にラッシュ時の新宿〜高幡不動間の急行・準急の4両編成運転を実施しました。そして、各施設の工事の竣工と車両の増備を待って、同年11月にラッシュ時の急行増発と全編成の4両編成化、60年10月には、13メートル級車両による5両編成運転を実施しました。

1960(昭35)年から63年の昇圧まで活躍した13メートル級車両の5両編成

1960(昭35)年から63年の昇圧まで活躍した13メートル級車両の5両編成

 一方、井の頭線についても早急な改善が求められていました。東急時代には、戦災で全31両のうち24両が被災したため旧東急各線からの応援車でまかなっており、東急から分離後も戦災応急復旧車が17両も使用されていました。本格的な立て直しは、1952年からで、明大前付近の線路改修工事、重軌条化、電力供給力強化などを実施し、同年5月に渋谷〜吉祥寺間の所要時分は31分から27分に短縮されました。また、国鉄標準機器を使用した新型1800型車両が8両入線しました。さらに、1954年には1800型を洗練・軽量化した1900型が13両入線し、輸送力は格段に向上しました。

前へ   <   第1部 目次へ戻る   >   次へ

▲ページトップへ

京王ナビへ

Copyright(C) Keio Corporation All rights reserved.