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京王電鉄50年史

第1部 戦後復興から事業の多角化へ(1948〜1969)

第1章 京王帝都電鉄の設立

3 バス事業の強化

丸の内のビル街を走る路線バス

丸の内のビル街を走る路線バス

 京王帝都電鉄設立当時のバス事業は、中野・国分寺・八王子の3営業所、免許キロは153キロあったものの実際営業キロは37キロで、稼動できる車両はわずか45両、そのうち20両は代燃木炭車で、残るガソリン車は燃料不足と酷使で廃車寸前のありさまでした。

 しかし、設立直後の1948(昭23)年7月から休止路線の再開、路線の新設、営業所の開設を相次いで行い、翌49年12月までの間に再開した路線は57キロ、新設した路線は相互乗り入れを含め76キロに達し、購入した新車は55両に及びました。

 当社は積極的にバス事業を強化しました。これは、将来のバス時代到来を予見したこと、また鉄道が復旧するまでの間、他のバス会社により鉄道が脅威にさらされないよう、バス事業により鉄道の営業圏を防衛するという理由から、会社再建の柱を鉄道よりも復旧・改善に費用・時間を要しないバス事業に置いたのです。

 まず車両の充実を図るために1949年4月、都内バス事業者で初めてディーゼルバスの本格的運行を開始しました。続いて民営バスの都心乗り入れが許可されたため、1949年10月に新橋〜下高井戸間(新橋線)を都バスとの相互乗り入れにより開設しました。なお、この路線には、都内初のトレーラーバスを導入しています。

新笹子トンネルを抜けて一路昇仙峡に向かう急行バス

新笹子トンネルを抜けて一路昇仙峡に向かう急行バス
1959(昭34)年7月

 さらに、都区内・多摩地区とも路線網は発展を続け、1955年12月の営業規模は、新宿・中野・永福町・世田谷・東府中・八王子の6営業所、営業キロは約300キロ、車両数265両、従業員数は830人で鉄道部門の862人に匹敵するほどになりました。

 また、1956年10月、新宿〜河口湖・山中湖間136キロを走る長距離路線(急行バス・季節運行)を開設しました。これは当時関東では最長距離を走る路線でした。さらに、1958年12月には、新宿〜昇仙峡間145キロの定期急行バスを開設しました。

 一方、観光バス部門も急激な成長をみせ、1958年に代田橋に観光バス営業所を開設、60年には、観光バスが29両になりました。

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