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京王電鉄50年史

第1部 戦後復興から事業の多角化へ(1948〜1969)

第2章 都市型私鉄への事業拡大

2 イメージチェンジした鉄道

地下化直前の新宿駅 1961(昭36)年

地下化直前の新宿駅 1961(昭36)年

 1960(昭35)年6月に東京都が新宿副都心計画を発表すると、新宿を拠点とする企業に開発の機運が芽生えました。当社も、新宿駅付近の併用軌道地下化に合わせ、新宿駅の駅施設を地下化し、地上に駅ビルを建設するという大改良工事を1961年5月に開始しました。1962年、京王線は最高時速を75キロから85キロにアップし、新宿〜東八王子間の急行の所要時分を53分から50分に短縮しました。

 一方、井の頭線では、1960年4月に渋谷駅の駅ビルが完成し、翌61年11月には4両編成運転を開始しました。さらに1962年12月には、オールステンレスカー・3000系が入線しました。この車両は、正面にはFRP(強化プラスティック)を使用し、そのFRPの塗色を編成ごとに変える(レインボーカラー)といった画期的な車両で、昭和38年度鉄道友の会ローレル賞を受賞するなど、同線のイメージアップに大きく貫献しました。

 さて、1963〜64年は、京王線にとっては大きな転換期でした。まず1963年4月には、新宿駅と新宿駅付近の線路が地下化され、京王線の運転保安上のネックであった併用軌道が廃止されました。同時に、新宿〜高幡不動間で17メートル級車両による5両編成運転も開始され、輸送力がアップしました。

ローレル賞の連続受賞

ローレル賞の連続受賞

 続いて8月には、輸送力アップのために進められていた昇圧工事が完成し、架線電圧が600ボルトから1500ボルトになりました。

 昇圧と同時に、新型の5000系が登揚しました。それまでグリーン一色であった同線にあって、アイボリーにエンジの帯の斬新な塗色をまとったこの新型車両は、そのスピード感あふれるデザインとともに京王線のイメージを大いにアップさせました。この車両は、3000系に続き、昭和39年度鉄道友の会ローレル賞を受賞しています。

 さらに、10月には、この5000系を優先活用する形で、新宿〜東八王子間を最高時速90キロ・40分で結ぶ特急の運転を開始し、少し遅れて6両編成運転も開始しました。

1963(昭38)年10月、新宿〜東八王子間を40分で結ぶ特急の運転を開始しました。(東八王子駅)

1963(昭38)年10月、新宿〜東八王子間を40分で結ぶ特急の運転を開始しました。(東八王子駅)

 12月には東八王子駅を移設、京王八王子駅と改称しました。

 翌1964年に入ると、4月に、高幡不動〜多摩動物公園間の多摩動物公園線(いまの動物園線)が開通し、同園へのアクセスの利便性が飛躍的に向上しました。また同じ4月には中河原〜聖蹟桜ヶ丘駅間の多摩川鉄橋が複線化され、さらに6月には新宿駅付近の地下区間を初台駅の先まで延長し、運行上の難所である西参道のSカーブや環状六号線との平面交差が解消され、スピードアップと保安度向上が図られました。

 これらの施策により10月には最高速度が95キロに向上し、特急は新宿〜京王八王子間37.9キロを37分で結ぶようになり、念願の「1キロ1分」が実現されました。

高尾線の開通前日に行われたテープカット(北野駅)

高尾線の開通前日に行われたテープカット(北野駅)

 そして、1967年10月、北野〜高尾山口間の高尾線が開通しました。同線は高尾山への観光路線としての性格を持つ一方で、京王めじろ台住宅地の分譲など地域発展に寄与する面も持ちあわせていました。

 なお、同年5月に京王線の全ての特急が6両編成となっていましたが、利用者の増加に対応するため、翌68年11月に、急行系列車の一部を7両編成化しました。これに先立って、車内における快適性の向上と旅客誘致を目的に、関東私鉄の通勤車両として初めての冷房車を導入しています。

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